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2022.12.12

【江戸川病院】インテリアから絵画、植物、動物まで。あらゆるアートを結集~人類の叡智の総力戦でがんと闘う最前線~

〜人類の叡智で、がんとの総力戦に挑む江戸川病院〜

東京都江戸川区。大都会東京の中でも下町と呼ばれるのどかな地域、最寄りの小岩駅からも徒歩15分はかかる住宅地のど真ん中に、その病院はある。増改築を繰り返した棟の外観はそれぞれに大きく異なり、最も古いメインの病院棟の内外観は、この建物が過ごしてきた時間の長さを感じさせる。建物から安直に想像するだけなら、そのたたずまいは「最先端」とはかけ離れているかもしれない。ところが創立90周年を迎えるこの江戸川病院、次世代放射線治療と言われているBNCTやロボット手術のダ・ヴィンチなど先進医療機器を次々に導入し、がん治療の権威の先生たちも勢揃い。その医療レベルの高さで近隣区や他県からわざわざ足を運ぶ患者さんも多い、がん治療の最前線なのである。

江戸川病院が創立されたのは昭和7年、現在では総病床数474床を誇るほどの巨大さだ。公立病院ではない病院が、90年以上にわたってこれほどまでに地域、医療従事者、患者、社会に愛されて実績を積み重ねてきた例は珍しい。その背景には、最先端の医療を積極的に導入するのみならず、患者だけでなく医療従事者のためにアートを活用した環境整備を推進した、中興の祖とも言うべき前院長の存在があった。病院を“人類の叡智の総力戦でがんと闘う最前線”に作り上げた中で、自らもがんに倒れ、最期まで闘い抜いた前院長の想いとは。その医療現場に迫った。(全2回の前編)

専門チームが管理する大規模院内アート

病院全体が、渡り廊下で連結された新旧複数の棟で成り立っていることも後押しするが、江戸川病院の一連の建物をひとことで表現するなら、それは「ダンジョン」の他には無いだろう。ダンジョンとはもともと「地下牢」を表す英単語であるが、日本語ではRPGなどのゲームに登場する「探検する迷宮」といったイメージで使われている、ゲーム好きにはお馴染みの言葉だ。院内は待合室、天井、廊下、診察室、検査室にあふれる様々な絵画やオブジェ、インテリア用品に留まらず、空間を覆い隠すような巨大な植物、そして何とイグアナやリクガメ、果ては深海魚やフラミンゴ、白蛇、エミューに至るまで、動物園かと見紛うような珍しい動物が飼育・展示されている。病院どころかアートの概念までをも覆してしまいそうな幅広さである。

院内のアートは、外部の目に見える範囲だけではない。普段は患者が利用することの少ない階段や検査機器の制御室、スタッフルームまでもがアートに埋め尽くされている。美術館としてさえ探検しがいのあるこの空間、散りばめられたアートは、来訪する患者や取引先、そして働くスタッフのケアだけでなく、複雑に入り組んだ病院のどこに居るのかを教えてくれる役割も果たしていそうだ。初めて訪問する人は、そもそもここが病院であることを、まず見失ってしまいそうになるのだけれど。

これら動植物を含む院内のアートは、複数の専門スタッフによって支えられている。クリエイターが在籍することや「広告デザイン室」という部署が医療機関に存在することも珍しいが、飼育・展示されている動物たちのための獣医1名、飼育員3名までもが勤務している。国内では他に類を見ないレベルで、これほどまで大規模に、そして幅広い種類のアートが導入された江戸川病院。どのような経緯を経て、この「ダンジョン」は出来上がったのだろうか。

トモセラピー室までの廊下。
洞窟のような雰囲気で検査を受ける患者さんは病院にいるという感覚すら忘れてしまいそう

メディカルアートのきっかけとなった院長のDIY

前述のように、江戸川病院が設立されたのは1932年(昭和7年)のこと。もともとは、当時不治の病の1つであった結核病床のための病院として設立された。昭和初期における肺結核は死亡原因の不動の1位であり、1938年に内務省から衛生局が分化して厚生省(現在の厚生労働省)が設置された際、その行政目的の1つに「結核等伝染病のへの罹患防止」が掲げられていたことからも、当時の人々にとって結核がいかに脅威であったかが分かる。ワクチンによる予防法が確立される以前の人々にとって、結核の発症や専門病床への入院は、自身の死を大きく意識させたことだろう。
その後、世界的な取り組みもあって国内の結核死亡率は大きく低下する。江戸川病院は時代に合わせて2000年までに5回の改築工事を実施。1984年の第3期改築工事では、251床あるすべての病床が一般病床へと切り替わり、院内から結核は姿を消すこととなった。

時は流れて2000年、江戸川病院に4代目の院長である加藤隆弘医師が赴任する(赴任当時は副院長)。病院の創立者であり初代理事長である加藤峰三郎氏の孫にあたる人物だ。加藤隆弘医師が赴任した当時、結核病床が消失してからは15年、追加で2回の改築が行われていたものの、そこにはまだかつての結核病床の影が、色濃く残っていたのかもしれない。さらに、時代を通じて難病に挑んできた江戸川病院には、結核の後にも次から次へと人類を苦しめる“疾病”という敵が来襲する。結核が死亡原因の上位を占めることの無くなった昭和中期から現在に至るまで、がんは多くの人々の命を奪い続けていることは、読者のみなさんもご存じの通りだろう。

そのような中で、院長に就任した加藤医師が着目したのがアートだった。きっかけは米国留学中に見学した病院の遊園地のようなインテリアデザインだったという。ただその感動を、経験したことの無い日本の人々に説明することは難しい。まして医療現場とは衛生最優先、人も機器も薬剤も、それぞれがシステマチックに役割を果たすことで疾病と闘い続ける、無機質の代表格のような場所である。その説明の難しさは想像に難くない。そこで院長は、自らDIYを始めた。壁に絵を描き、ホームセンターで素材を購入してきては、院内の至るところにその遊び心を投影させていった。

江戸川病院で働く職員や治療を受ける患者は、最初はそれはそれは戸惑ったことだろう。医療という命のやり取りをする現場は「真面目」であるべきで、「遊び心」など許されるはずがない。そう捉える人も少なくなかったはずである。それでも加藤医師は、その信念に基づいて院内のアートを増やしていった。患者の症状や治療に対する不安を和らげるだけではない、明るく前向きな職場であってこそ、医療従事者たるスタッフもより実力を発揮できるのだ。院長は生前そんなことを語っていたそうだ。

さらなる進化を求め就任した現院長の思い

前院長の思いを継承し、さらなる進化を進めたのが、江戸川病院現院長である加藤正二郎院長だ。2016年江戸川病院の院長就任後も、病院の院長であるとともに一人の整形外科医として数多くの患者を救ってきた。地域に密着して患者一人一人に向き合いながら、この壮大なテーマをもった江戸川病院の経営を担う大変さは本人にしかわからない。
「効果的な治療法がない中、命を落としていく小さな子どもを何度も看取る経験を重ね、医師として大切なのは『愛と想像力』だという思いに至りました」。臨床現場での数々の経験から、整形外科の領域に進む事を決断した。現在も経営者としての業務をこなしながら、臨床医として人工関節や骨軟部腫瘍の治療を行っている。

前院長の思いを引き継ぎ今なお成長する江戸川病院のアート空間。広告デザイン室から立案のある様々な提案を1つ1つ、加藤正二郎現院長が確認し、患者や医療従事者にとって「意義あるものか」を確認した上で、承認を行う。大病院の経営者でありながら一人の医師としても日々患者と接する加藤院長だからこそ、患者にとって何が最適かを現場目線で判断する事ができる。

救急で運ばれて来る患者さんがまず見るものは、救急用窓口の天井に書かれたこの文書。
不安と苦しみで搬送される患者さんにとってどれだけ安心できるかは想像に容易い。

五感を通じた “セラピー効果” の奥にあるもの

導入から現在まで、江戸川病院は、院内アートが患者や医療従事者に与える効果を、厳格に測定している訳ではない。もちろんアートは物理的治療ではないから、現場の方々のエモーショナルケアに万能という訳でもないだろう。言ってしまえば、アートの有用性はここ江戸川病院では、科学的には何も証明されていないのだ。

だからと言って、遊びや道楽だと思うことなかれ。江戸川病院に実際に行ってみると、そこに通う患者や働く医療従事者たちが、それら院内アートを「信じている」ことがわかる。1つ1つのアートは、視覚や触覚など五感を通じて感じ取るものだが、そこを訪れた人は誰しも、その五感の先にある効果を感じることができるはずだ。現場の医療従事者たちは、皆こんなことを言う。「患者さんだけじゃない、僕らだって元気をもらったり、癒してもらうことはたくさんあるよ。取材に来る人たちからはアートだって言われるけど、僕ら医療チームが一丸となって病気と闘っていく場所だから、職場の個性という意味では、人間関係も良くなっているのかもしれない。同じ空間の患者さんとも、何か縁や仲間意識みたいなものを感じるんだよね。」

江戸川病院の人々が院内のアートを信じていることは、加藤隆弘院長が2016年に亡くなり、加藤正二郎院長が就任された後も、院内のアートを増やし続けたことからもわかる。初めて江戸川病院を訪れた人が、「これが病院なのか」と驚くほどの幅広く大量のアートの数々。でも、今の江戸川病院に、アートを増やすことをためらったり、戸惑ったりする人はもういない。疾病と闘う最前線の、もう1つの共通言語として、医師・コメディカル・患者といったすべての現場の人々の心の中に、アートが活きている。

医療は、誰もが良い結末を迎えるとは限らない。検査や治療の中には、つらく苦しいものもある。一部を除けば、人生の中で病院なんて行かないに越したことはないのだ。それでも病院で過ごさざるを得ない時間を経たとき、過ごした環境がこんな病院だったなら、そののちの人生でふとしたとき、そのアートを思い出すのかもしれない。加藤隆弘院長が、江戸川病院に遺したもの、この病院に存在する空気は何だろう。言葉にすると陳腐になってしまいそうだけれど、確実にそこにある何か。もしかすると院長だけには、最初からこれが見えていたのかもしれない。

待合室の前では窓越しにリクガメを鑑賞する事ができる。
まさに非日常感であり、待ち時間の苦痛などこの病院ではまったく存在しない。

各階段も様々なアートにより装飾が施されている。
患者さんがアートに触れられる設計が至る所に施されている。

遺志を継いで:いずれは企業とコラボしていきたい

江戸川病院の人々の目が向いているのは、何も院内に外部要素を「取り入れる」ことだけではない。企業が健康経営を謳う昨今、病院に来る前の人々の健康を願って、様々な企業や団体とのコラボレーションを見据える。医療機関である江戸川病院は、「アート」という医療世界の外の人々のノウハウを取り入れることで、その現場に大きな成果を積み上げてきた。だからこそ次は、医療のノウハウを求めるあらゆる現場に、積極的に届けていこうとしている。

これまで遠く離れた世界が混じり合うとき、最初は何かと違和感を感じるものだ。でも、歳月を重ねてそれが成果を生み出せば、最初の違和感さえもいびつな固定観念だったのだと気づかされることがある。江戸川病院は、院内外の取り組みを通じて、私たちに社会における医療の役割を問いかけている。